小林純岳「静かなる闘志、小林純岳のラグビー人生」
2025/09/18
ラストシーズンを迎えた4年生のラグビー人生を振り返るラストメッセージ。
第2回は、小林純岳(4年/副将,SH/東海大相模)です。
4歳の頃、横須賀市ラグビースクールに通い始めた小林。
そのきっかけは、ラグビー経験者だった父の背中だった。
グラウンドに連れられるうちに自然とボールを抱え、タックルやパスを覚えた。「気づいたらラグビーをしていた」という感覚に近かったという。
進学先に選んだ東海大相模は、強豪校という肩書き以上に、雰囲気の良さが決め手だった。
高校2年で花園のピッチに立ち、御所実業高校に黒星を喫して3回戦敗退し、悔しさを味わったが、その緊張感と熱気は彼にとって大きな糧となった。
小林が東海大相模での3年間を通じて徹底的に磨いたのは、スクラムハーフとしての基盤だ。
それまで自由奔放で、感覚的なプレーを楽しんでいた小林は、三木監督の指導をきっかけにラグビーの奥深さを知った。
正確なパスワーク、素早い判断、チームを的確に動かす姿勢。
「高校時代で基盤をつくった」という言葉には、強豪校での日々が彼を大きく成長させた実感が込められている。
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青学での停滞と変化
高校を志望する時から一貫して、練習の雰囲気に重きをおいていた小林は、見学に来た際に良い感触のあった青学を選んだ。
だが、大学に入ると高校時代とは同じ熱量が持てなくなった。
高校時代の厳格な環境とは異なり、自由な雰囲気だった青学。
高校までのように勝ち進むことは容易ではなく、自らの力を出し切れない日々が続いた。
転機は3年次、糊谷ヘッドコーチ率いる新たなコーチ陣が始動したときだった。
チームが新しく生まれ変わろうとするそのタイミングで、小林はアタックリーダーとして戦術面の中心に立つ役割を担った。
「同じポジションの先輩も卒業し、次はもう自分の出番。監督コーチ陣も変わるこのタイミングで自分も変わろうと決めました。スイッチが入った瞬間だったと思います。」と振り返る。
4年次、副将に選出された小林は、それまで以上に「冷静な視点でチーム全体を支える」ことに注力するようになった。
主将・八尋祥吾がその背中で仲間を鼓舞し、熱い行動でチームを前へと引っ張る存在だとすれば、小林は冷静な視点で全体を見渡し、必要な言葉で進むべき方向を示す役割を担う。目立つ言葉よりも、仲間に寄り添い全体を支える冷静さでチームを導いてきた。
小林自身、決して口数は多くない。
だが、一つひとつの言葉には確かな重みがあり、その静かな説得力に仲間は耳を傾ける。
そして何よりも、彼は言葉以上にプレーで語る。
80分間、気持ちを切らさず走り続ける姿勢こそが、小林の最大のメッセージだ。
副将としての冷静さと、誰よりも熱いプレー。
両者を兼ね備えているからこそ、チームに欠かせないリーダーとなった。
その姿勢を象徴するのが、試合中のワンシーンだ。
チームがトライを奪ったあと、小林は最後の一人がハーフラインに戻るまで必ずトライライン際に残り、全員を鼓舞する。仲間を信じ、仲間と共に戦う姿勢を体現している瞬間だった。
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ラストシーズンに託す思い
このシーズンで、小林の大学ラグビー人生は幕を閉じる。
本人も「まだ実感は湧かない」と話す小林がラグビーを通じて確かに得たものは、多くの「縁」だった。
仲間やコーチ、支えてくれた人々との出会い。すべてが自分を形作った。
だからこそ最後のシーズンは、勝利だけでなく「自分がここに残せるもの」にこだわりたいと語る。
「青学でもやれるぞ、という証明を残したい。未来の選手たちがAGRに魅力を感じ、集まってくれるように。」
「プレーで伝えたいこと」を問うと、小林は迷わず「諦めない姿」だと答えた。
「80分を越え、終了の笛が鳴る瞬間まで、トライを取られる瞬間まで、どんな状況でも最後の一瞬まで諦めない。気持ちを切らすことはありません。」
その言葉は、彼のプレーを見れば一目瞭然だ。
「その一瞬に懸ける」ラグビーを体現し、観客の心を動かし、仲間たちに勢いを与え続ける。
どんな状況でも走り抜く姿勢は仲間に勇気を与え、笛が鳴るまで体を張り続けるその姿は、バイスキャプテンとしての信念そのものだ。
インタビュアー:利守 晴(2年)
ライター:内山 りさ(2年)