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内藤基「恩返しの4年間。憧れを継承へ。」

2025/11/05

ラストシーズンを迎えた4年生のラグビー人生を振り返るラストメッセージ。
第10回は、内藤基(4年/FL,No8,CTB/東福岡)です。




「この人たちとグラウンドに立ちたい。」
そう語る内藤の声に、深い感謝が滲んだ。


青学で過ごした4年間。
そこには“憧れ”を“継承”へと変え、チームの温かさを受け継いできた一人の選手の成長があった。



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“ヒガシ”への憧れ
 

内藤がラグビーに出会ったのは、幼稚園の年長の頃。
兄と一緒にボールを追いかけるうちに、気づけばラグビーは生活の一部になっていた。


進学先に選んだのは、全国屈指の強豪・東福岡高校。

兵庫県西宮市出身の彼は、親元を離れる決断をした。

福岡出身の母親の影響で、幼いころから“ヒガシのラグビー”を観て憧れを抱いていた。



小学生の頃には、東福岡高校のグラウンドまで連れて行ってもらい、フェンスの隙間に張り付いて練習を観るほど。

“ヒガシ”としてプレーする。ついに憧れの舞台に足を踏み入れた。




しかし、現実は甘くなかった。

高校3年の秋、定期戦の天理高校戦で後半から途中出場したものの、
ファーストプレーでノットストレート。その後も納得のできるパフォーマンスはできず、流れを掴めぬまま試合を終えた。

遠征後、メンバーから外れることになる。




“史上最強世代”と呼ばれた同期たちの最後の花園。
嬉しさも悔しさも、すべて応援席から見守った。



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後悔と再生



高校での悔いを引きずり、青学に入学しても、どこか心が空回りしていた。

試合に出られず、練習にも身が入らない日々。
当初95キロあった体重は、半年で10キロ落ちた。


「正直、腐ってました。何のためにラグビーやってるのか分からなくなって。」


そんな彼に手を差し伸べたのは、当時の4年生たちだった。

「自分がどんな態度でも、声をかけてくれました。“内藤、今日のプレー良かったやん”って、下のスコッドの自分をちゃんと見てくれたのが嬉しくて。」


4年生の引退が決まったときの心境をこう語る。

「“俺何してたんやろう”って。もうこんな想いしたくない。 」


先輩たちと同じ方向を見ずに過ごした1年間を、深く後悔した。



“このチームで本気になりたい”と思えた。


先輩たちへの恩返しと憧れを胸に、迎えた新シーズン。

憧れと後悔をバネに、真剣にチームに向き合い始めた。



その3月に行われた慶應義塾大学との招待試合では、初めてファーストジャージに袖を通した。

「初めてメンバーに入って、親が喜んでくれて、めちゃめちゃ応援してくれたんです。そのときに応援してくれる親にも恩返ししないといけないと気付かされました。」 


高校入学と同時に入寮し、親元を離れた内藤。

期待とは裏腹に、思うような結果を残せずに苦しむ日々。
それでも、遠く離れた家族は変わらず彼を支え続けてくれた。

「高校の分まで、親にグラウンドで闘う姿を見せたい」
そう語る表情には、悔しさを超えた決意がにじむ。


 



先輩にも、家族にも恩返しを。
内藤の中で、“自分のため”だけではない、新たな軸が芽生えた瞬間だった。


2年春からAチームのフランカーとして出場。
3年次には対抗戦の全試合で8番を背負い、圧倒的な運動量とディフェンスでチームを支えた。



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変わる色の中で残したいもの


最上級生になった今年、 後輩たちを前にかつての先輩たちの温かさがよみがえった。
彼は、チームの中心となり舵をとることは決して得意ではないと語る。


しかし練習後や試合後、彼が後輩に声をかける姿をよく目にする。
グラウンドでも、リハビリでも、ウエイトトレーニングでも。


どんな状況でも、彼は“チームの一員としての在り方”を見せ続けた。
派手な言葉ではなく、日々の姿で伝える。





それが、彼にとっての「継承」だった。

「自分の代になっても青学の“温かさ”は変わらないし、どんな形でも、誰かの心に残る先輩になりたいと思ってます。」



かつて憧れた先輩たちの姿が、今の内藤の中で生きている。
そしてその姿勢は、次の世代へと確かに受け継がれていく。





思うようにいかなかった高校時代からの悔しさ、立ち止まっていた1年間を乗り越え、“憧れ”を“継承”へと変えた4年間。


その熱さは、青学のグラウンドに息づいている。

何人のチームメイトが、彼のプレーと言葉に背中を押されただろうか。

 





インタビュアー:利守 晴(2年)
ライター:内山 りさ(2年)