松下稜「不屈のラグビー人生。最後は、心から楽しむ。」
2025/11/13
ラストシーズンを迎えた4年生のラグビー人生を振り返るラストメッセージ。
第14回は、松下稜(4年/PR,HO/桐蔭学園)です。
“中学受験のモチベーションに”と、父から勧められて始めたラグビー。
受験を経て入学した桐蔭学園中学校でボールを追い始めたのが、松下の原点だった。
バックスとしてプレーを始めたが、中学3年の夏、ボールキャリー数を増やすため、フォワードに転向した。
中学を卒業後は、内部進学で桐蔭学園高校に入学。
強豪校に入学し意気込んだ同期の中、その実感の無いままグラウンドで汗を流す日々。
「エスカレーターで入学したこともあって、最初は臆することはなかった。レベルの高い環境の中で“ただやってる”感じでした。」
桐蔭学園はその年、そして翌年も、2年連続で日本一に輝いた。
2年次の花園では、出場時間は無かったものの、リザーブに名を連ねていた松下。
「試合に出られなかった悔しさ以上に、2年連続で“日本一”を間近で見られたことが、
今でも大きな糧になっています。」
最上級生になると、それまでの努力が報われた。
春の選抜大会では、全試合で1番を背負い出場した。
しかしその後、関東大会での敗戦をきっかけに彼はBチームに降格。
花園も先発に復帰できないまま迎えた。
引退試合となった準決勝の國學院栃木戦では後半の10分間のみの出場。
ノーサイドの笛が鳴っても、涙は出なかった。
「みんな悔し涙を流してたけど、涙は流れなくて。勝敗に関われなかったってことの、不完全燃焼が大きかったです。」
強豪校で過ごした3年間。
仲間と勝ち取った戦績よりも、試合に出られないもどかしさが脳裏に焼き付いている。
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積み重ねた4年間
「桐蔭での不完全燃焼を晴らしたい。1年目から試合に出たい。」
その覚悟をもって、青学に入学。
体づくりに意識を向け、ウエイトトレーニングや食事管理を徹底した。
だが、スタートから順風満帆ではなかった。
春シーズンは肩を脱臼し、リハビリに専念していた。
復帰後の1年秋、対抗戦 筑波大戦でデビューを果たす。
しかしそこで、対抗戦で勝ち抜く難しさを知った。
自身が強みにしていたスクラム。
チャンスを掴み取ったその舞台では、通用しなかった。
「最初のスクラムから歯が立たなくて。そこから試合もうまくいかず、レベルの高さに圧倒されました。」
2年の春、アキレス腱を断裂し、手術が必要になった。
再び半年間チームを離脱し、リハビリを経て復帰した。
復帰するタイミングで、足への負担や、自身の身長を考慮した上で、フッカーに転向。
怖さを抱えながらプレーしていたものの、チームからの信頼は厚く、Aチームのリザーブに選ばれた。
「復帰してまたメンバーに絡めたことが、自信になりました。」
秋シーズンには4試合、フッカーとしてチームの16番を背負った。
“スタメンで試合に出たい”
出場機会を得ていたものの、高校時代から抱いていたその想いは、報われていなかった。
チーム事情により、再びPRに戻った3年次。
“今年こそはスタメンになる”と覚悟して始めたシーズンだったと振り返る。
フィールド外の時間を費やし、何度もコーチに改善点を聞きに行った。
しかし、それに応え何度改善しても、毎試合リザーブのまま。
「全部直したのに、次々と新しいことを言われて。最終的に“ブースターとして使いたい”って言われたときは、正直複雑というか、納得しきれませんでした。」
惜しまなかった努力が報われない。
その現実を、素直に受け入れられなかった。
それでも試合になれば、自分の役割を理解し、チームのために走った。
昨年度の対抗戦 筑波大戦では、ブースターとして大きく貢献した。
後半21分から出場し、最初のプレーでビッグゲイン。
そして試合終盤。彼のジャッカルを機に、ノーサイドの笛が鳴った。
「 納得できない想いはあったけど、試合では“チームのために”って気持ちを切り替えて、 責任を果たそうとしてました。シーズンを通して、自分のやるべきことはやれたし、求められている役割も果たせた。」
好感触を得ながら、ラストイヤーを迎えた。
春季大会の立正大戦で、ついに先発出場を果たす。
結果は40対33で勝利。
自身のパフォーマンスにも満足できた試合だった。
しかし、その次戦 法政大戦後、再びBチームへ。
「気持ちは切らさなかったけど、“またか”って。漠然と、頑張るしかないと思いました。」
どれだけ納得できなくても、ひたむきに練習することをやめない。
その忍耐力を辿ると、家族への感謝を語った松下。
「1番のジャージを着て試合に出ている姿を、親に見せたい。食生活や忙しかった毎日をサポートしてくれた感謝を伝えたいから、諦めたくないです。」
ラストシーズン、感染症により一度離脱した。
それがきっかけになってか、対抗戦第4節からは、今季初めてメンバーを外れた。
彼らが過ごしているのは、実力世界。
チームを離れる時間があれば、序列が下がる。
仕方ないと冷静に受け止める一方で、もちろん、他のメンバーにチャンスを掴まれた悔しさは大きい。
それでもこの期間を通して、メンバー外として新たな気づきがあった。
「チームを、メンバーを支えるってこういうことなんだなって。ずっとメンバーだったから裏方の仕事を知らなかったです。その大変さを知れたから、今は“チームが勝てるように”って気持ちで過ごしています。」
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“楽しむ”ラグビー
高校時代からずっと、リザーブとして過ごす時間が長かった。
その中で、常に考えていたのは「上に上がるには何が足りないか」。
その努力の裏で、気づけば“楽しむ”という気持ちをどこかに置き去りにしていた。
だからこそ、最後のシーズンは“受け入れること”を大切にしていると語る。
「今からどんなチャンスが来るか分からないし、チャンスなんて来ないかもしれない。でも、グラウンドで起こるすべてを受け入れて、ラグビーを楽しみたい。それができたら、悔いなく終われると思う。」
怪我と挫折の多かったラグビー人生。
その中で得たのは“積み重ねることの大切さ”だった。
「怪我で離脱しても、自分を見つめ直して、体づくりや食事を見直す時間があった。
積み重ねを続けられたから、またメンバーに戻れたんだと思います。」
そして、青学に残したい言葉を尋ねると、彼は迷いなく答えた。
「諦めないこと。」
「青学は、下のチームに落ちても、這い上がるチャンスがある環境。だからこそ、巡ってきたチャンスをものにできるように準備を続けてほしい。」
1人のプレーヤーとして高みを目指しながら、何度も悔しさにぶつかってきた。
どんな時も、任された役割を全うし、青学に勢いを与え続けた4年間。
“やりきった”と言える最後を迎えるため。
自分のラグビーを楽しむ。
インタビュアー:利守 晴(2年)
ライター:内山 りさ(2年)


