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重森凜音「“支えることが幸せ” 貫いたチームファースト。」

2025/12/02

ラストシーズンを迎えた4年生のラグビー人生を振り返るラストメッセージ。
第18回は、重森凜音(4年/TR/桐蔭学園)です。





ラグビーとの出会いは、高校時代。
ラグビーが好きな父と一緒に観戦へ行った時間が、現在の道につながっている。


全国屈指の強豪校でもある桐蔭学園に通っていた重森。
高校時代は、様々な部活の応援をする応援指導委員会に所属していた。

「昔から、人のために行動することが好きでした。」

その言葉どおり、彼女は選手の背中を押す“支える側”としての喜びを知っていた。




大学ではラグビーに関わりたいと考え、対抗戦所属校を中心に受験。
青学に進学し、迷わずラグビー部に入部した。


相模原にあるグラウンドまで、実家から片道1時間半。
部活に専念するため、大学寮に入寮し、生活のすべてをチーム中心に据えた。




そして、入部式の2か月前。まだ高校3年生だった2月。
彼女はすでに、トレーナーとして練習参加を始めていた。

「とにかく早く、選手のためになりたいという気持ちで。ひたすらテーピング練習をして、自分が出来ることを増やしていきたいと思って過ごしていました。」





誰よりも早くグラウンドに到着し、テーピング、ウォーター、体重管理等のサポートをする。
選手生命にも関わるトレーナー業。

中学時代から運動部に携わってきた経験、そして“人のためになりたい”と尽くす彼女の性格とぴったり重なった。






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行動で示すリーダーシップ


重森にとって転機は、3年次。

当時4年生の学生トレーナーはおらず、3年生ながらチーフになった。



代替わり時の学生トレーナーは、重森と、直前に入部した1つ下の中川侑星(現3年)の2人。

そこに春の新入生2名を加え、4人体制に。
実質、経験者は重森のみ。

トレーナー歴わずか2年の彼女はチーフとして、未経験者の後輩3人を束ねなければならなかった。




そしてその年、コーチ陣も新体制に。
求められる基準は一気に上がり、環境は大きく変わった。

「コーチ陣が変わってから求められることが多くなったし、ゼロから立て直した感覚でした。でもコーチ陣と一緒に考えてチームをよくしていくことに専念できて、すごく楽しかった。要求されるレベルが上がった分、成長させてもらったし、環境にも感謝してます。」




チームのためなら、厳しい意見をすることもためらわなかった。 
しかし時に、選手と意見がぶつかることも。  


伝わらないなら、自分が動く。
変わらないなら、自分が変える。


「例えば、部室が汚いならロッカーを振り分けて整える。体重測定をしない選手がいれば、栄養士さんと相談して根本から解決するとか。できることは全部やってきました。」




それは、後輩への姿勢でも一貫していた。
「口だけにならないように、“自分が一番動く”ことを意識していました。間違っていることはちゃんと伝える。伝える分、自分は絶対に間違えられない。“見本でいないといけない”という責任感を持って、誰よりも行動に移そうと覚悟してました。」


言葉でも行動でも、重森は常にチームを想い、動き続けた。
その背中は、後輩たちにとって大きく、そして確かな道標になる。


 




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選手の幸せが、私の幸せ

印象に残る試合を尋ねると、昨年度の対抗戦 筑波大戦を挙げた。

秩父宮ラグビー場で果たした勝利。
その日、9月29日は彼女の誕生日でもあった。

「誕生日に勝てたのも嬉しかったし、チームの一体感が一番強かった試合。やっと選手の頑張りが報われたと思って、すごく心が動かされました。」


昨年度から、対抗戦の全試合でフィールドに立ち、メディカルスタッフとして選手を一番近くで見守ってきた彼女。
選手が結果を残したとき、皆と同じように喜んだ。





トレーナーとして、選手の変化に寄り添い、陰ながら支え続けた4年間。
ラストメッセージとして選んだ重森の信念は、“人を活かして自分も活きる”。


チームを支えてきた日々が、彼女自身を成長させてきた。
だからこそ、どんな場面でも彼女の軸にあるのは、選手とチームを支えること。

「最終的に選手全員がやりきって幸せなら、なんでもいいかな。みんなが悔いなく終わるため。ずっとそのためにやってます。」





トレーナーは、選手生命に関わるポジション。
緊張感とプライドを持って、彼女は“チームのため”を貫いた。




“チームファースト”

彼女のためにある言葉ではないだろうか。

心も、時間も。
惜しみなくチームに捧げてきた。

彼女の熱さと行動力が、チームを前へと進ませる。
 



インタビュアー・ライター:内山 りさ(2年)