宗像純「4年間の証明。刻まれた想い。」
2025/12/04
ラストシーズンを迎えた4年生のラグビー人生を振り返るラストメッセージ。
第19回は、宗像純(4年/副務,FL,No8/桐朋)です。
「一般生でも、やれる。その姿を示したい。」
それは、明るくて誰からも愛される宗像が、静かに抱き続けてきた想い。
試合中も練習中もグラウンドには、仲間のプレーを褒める彼の声が響き渡る。
スポーツ推薦生でも強豪校出身でもない、そんな自分の姿が誰かの心に刻まれ、道を切り開くきっかけになるように。
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それでもラグビーをやめない
大学受験で一度ラグビーを離れ、一年間の浪人生活を経て青学に入学した宗像。
入学前に出場した草ラグビーの試合で、前十字靭帯を損傷し、二度の手術と長いリハビリ期間を要した。
それでも、ラグビーからは離れなかった。
リハビリ期間中、彼の役割はグラウンド練習のビデオ撮影。
小中のラグビースクールや桐朋高校でキャプテンを務め、チームを引っ張る立場だった宗像にとって、初めて“支える立場”に立つ経験となった。
全国のトップで闘ってきた同期から刺激を受け、見て学ぶ。
自分の立場以外の視点でチームに関わる日々が、彼のラグビー観を少しずつ広げた。
そして、2年次の秋。 2度の手術を経て、ようやく選手復帰を果たす。
「みんなに、“宗像走ってるよ”って言われて(笑)。自分の中でも走れるようになった記憶は印象に残ってます。」
大学受験のためにラグビーを離れてから、およそ3年間。
長いブランクにも関わらず、それでもラグビーを諦めなかった理由。
彼は“怖さ”と表現する。
「仮に今、自分からラグビーを取ったらなにが残るんだろうって。ラグビーをしてるってことは自分のアイデンティティです。」
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努力で闘うという誇り
宗像は、一般受験で入学した“一般生”。
推薦生が多いチームの中で、その肩書きには特別な思い入れがあった。
1年次の対抗戦の明治大戦。
当時2年の一般生として入部したFWの先輩が、明治大相手にタックルし続ける姿に魅せられた。
その姿は、宗像が、彼自身の想いを再認識するきっかけにもなった。
「俺は一般生でもやれるんだぞって証明するために、浪人を経てまで青学に挑戦しに来た。
そこはぶれちゃいけないなって、思い出しました。」
推薦組に比べれば、ラグビーと向き合ってきた時間は確かに少ない。
劣る部分も確かにある。だが、体を張ることはできる。
誰でも、努力次第で闘える。
彼が大切にしたのは、自分の姿で“一般でもやれる”を示すこと。
一般生が這い上がることで、チームは強くなると確信している。
自分がかつて心を動かされたように、その姿が誰かの心に刻まれ、新たな挑戦のきっかけになることを目指した。
一般生の肩書に苦労したのは、グラウンド内だけではなかった。
入部当初、同期の中は、一般生と推薦生の間に壁があったと振り返る。
同期なのに、練習が分かれている。
その雰囲気のまま、グラウンド外でも感じるわだかまり。
1年次の学年ミーティングで、彼は意を決して口を開いた。
「一般生と推薦生の壁をなくしたい。」
距離は縮めるのは容易ではなかった。
悩みながらも、夏合宿を経て同期との距離は徐々に近づき、今では同期全員との距離感に何の隔たりもなくなった。
この経験があるからこそ、彼はグラウンド内外を問わず、対話を欠かさず、相手の意図を汲み取ることを大切にしていると語る。
「記憶に残る存在でありたい。」
彼が一貫して抱いてきた、もう一つの軸。
上手さや華麗さでなくても、体を張る姿、後輩との何気ない会話、グラウンド外で笑っている姿。
どんな形であっても誰かの中に残り続けることは、彼に取って大きな意味を持つ。
グラウンド内外問わず、最終シーズンは特に、チームメイトとの対話を心がけてきた。
誰とでも気軽に関わり、笑顔を引き出すその姿は、確実にチームの記憶に刻まれている。
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記憶に刻む背中
宗像にとって、この4年間で最も深く刻まれた試合。
それが今シーズンの対抗戦 明治大戦だ。
幼い頃から特別な存在だった秩父宮と花園。
「いつか立ちたい」と願ってきた場所でありながら、中学時代の東京都選抜でも花園に立つことは叶わず、高校でもその舞台には届かなかった。
春シーズンにはメンバーに絡んだものの、対抗戦でAチームに入ることは多くなかった。
巡り合わせの中でメンバー入りし、そのグラウンドに立つことができた明治大戦。
その事実が、彼にとってどれほど特別なことか、想像に難くない。
そして、その姿を見届けてくれたのが両親だった。
「どんな形であれメンバーに入って、秩父宮に立ってる姿を両親に見せられたのは良かったかな。母親は試合観にくることがあんまりないから、来てくれて嬉しかったです。」
試合後、父はこう言葉をかけてくれた。
「お前が秩父宮に立ってる姿を見れて良かった。」
その言葉を聞いたとき、彼の胸に静かに込み上げるものがあった。
朝4時半に家を出発し、練習へ向かう自分に合わせて、母は早く起き、いつも欠かさず朝食を作ってくれた。
父は、どんな試合も必ず見に来てくれた。
そんな日々の積み重ねが、彼の中に確かな支えとして残っていた。
だからこそ、あの日の秩父宮ラグビー場は特別だった。
「秩父宮に立てたことで、少しは恩返しできたのかなって思う。」
それは、彼にとって確かな意味を持った一日。
彼がこの4年間で残したものは、数字や記録では測れない。
一般生として這い上がり、仲間に寄り添い、家族に背中を押されながら歩んだ日々。
その積み重ねが、人としての“強さ”を形づくってきた。
「一般生でも、やれる。」
示したかったのは、その一言に宿る覚悟と姿勢。
そしてその姿は、たしかに誰かの心に届き、これから先の挑戦へとつながっていく。
彼が願った“記憶に残る存在”は、もう十分に叶っている。
この4年間は、間違いなく皆の記憶の中で生き続ける。
インタビュアー:利守 晴(2年)
ライター:内山 りさ(2年)・利守 晴(2年)


